
■前防衛次官宴席同席疑惑の行方■
村上龍氏は、「依存は世の中の最大の悪である」と説いている。
依存とは何か。
自分の力を使わずに、何者かによって自分の行動を代替してもらうことである。
依存の反対語は自立である。
自立をしようとする場合、失敗はつきものだ。その最中には、苦しさを伴うことが多い。
だがしかし、自立ができたときには、なんともいえない爽快感を伴う。
この場合、途中の苦しさを克服するのが、「楽しさ」「好き」という感情である。
赤ちゃんが何度か転びながらも、歩行を覚えるのは、歩くことがが楽しく気持ちよいからだ。
自転車こぎを覚えるのも同様。歩行や走行では味わえない、スピードと爽快感を味わいたいゆえに、何度転倒してもトライする。
好きなことをしていると、気持ちいい。それが、自立する際の苦労をセーブする。
自立とは、物質面では「経済的に自活する」意味である。
精神面では、「自分の意図で行動する」ということ。
つまり、その人が「ビジョンを持っているか」が重要なポイントとなる。
ビジョンを持つことのでいないケースもある。
それは多分、自分の置かれている状況で、好きなことや興味をを見つけられない場合だ。だから、こだわりやモットーを見出せない。
なぜ好きなことを見出せないのか。
それまでの人生を、金銭や見返り、世間体など、外面を中心に考えてしまうとそうなりやすい。
そして、“自分”というものがシッカリしていないと、たやすくブレる。
中心がブレている駒は、よく回らない。ブレて回る駒は弱い―-と相場は決まっている。
贈賄する側も、手練手管の海千山千。相手の弱点には、すぐ目が行く。
「ブレている駒は、ただ飯でアッサリコロコロ転がるぜ」と見抜いている。
ギター演奏が好きな人がバンドを組んだ場合、ギターのパートを他人に任せたりはしない。
「タダ飯おごってやるから、ギターをオレにやらせてくれ」と誘われても断るだろう。
パブロ・ピカソが「ただ飯ゴチソウするから、女のカオをキチンと描いてくれ」といわれて、絵を修正しないだろう。(主体的に描いた美人画もアリ)
それとは逆に、世間を遊泳するには有利な立場にいる〜いわゆるエリート層のいくらかは、
しばしば、有利性や効率性に目が行ってしまい、自分の内面への目を失いがちになる。
世間を気にして、自分の本心を失うゆえ、自立性が弱く、ビジョンが育たない。
天才も革新者も、エリートからから出にくいのは、その理由からくる。
つまるところ。
好きなことを貫くには、勇気とリスクを背負うが、それが自立に繋がる。
他人の目の中に生きるのは、ラクで効率が良いが、それが依存を生む。
といえるようだ。
結局、「好きなこと(モノ、人)がない⇒弱い」ということになるのではないか。
愛着のあるモノ、大好きなこと、離れられない人、守ってあげたい相手・・・。
俗に、「愛は強し」というのは、そういうことなのだろうか。
そう見ると、収賄側へも贈賄側へも、本当に自分の仕事が好きだったのだろうか、なんて考えてします。そうじゃなかったとしたら、多少の哀れすら感じてしまう。
とはいいつつも、自分を含む大部分の人間は、物質的側面と精神的側面の両方を、あっちウロウロ、こっちウロウロ、毎日毎日揺れ動きながら、もがき続けて生るのだろう。
…いずれにしても皆様・・・ご苦労様です。
山田洋行元専務主催の口利き接待。料亭には、守屋、久間、額賀の3氏がいたことになっている。
だが、証人喚問での3者の意見は食い違う。
「絶対に秘密裏に」と釘を刺しあった約束も、逆境になると「額賀に釘」ってワケですね。
最後にもう一句。
「賄賄(ワイワイ)と 夫唱婦随で 守屋がり」



