
■砂上のアイドル、マーメイドカップ3位に■
テレビ離れが進行している現在、マスコミが最も欲しがっているのは、「スター」である。
元来、スターとかヒーローというのは、“憧れ”の存在を商品化したもの。
そして、“憧れ”というのは、人間の各コミュニティに自然発生するものだ。
・学業、要望、人望がそろった近所のガキ大将。
・賢く、優しく、美しい、町内一の美人。
・酒が好きで、喧嘩っ早いが、いざというときには頼りになる、
町内会のオヤジ。
・聞き上手で相槌上手だが、いうことはシッカリ言う飲み屋のオカミ。
・聴けば何でも答えてくれる、ご隠居さん。
などなど、人間が作るコミュニティがあるところには、
必ず“憧れ”の対照が存在するのだ。
つまり、マスコミがなくても勝手に存在するものである。
スターというのは、それらをマスメディア用に誇張化し、ショーアップした商品。
さまざまな媒体を用いて戦略と宣伝で、それを作ることをスターシステムという。
実際にスターほどオイシイ商売はないだろう。
普通よりちょっと美貌やその他の才に恵まれた少年少女に、衣装を付け、振り付けを施し、歌を吹き込ませるだけで、何億と入ってくる可能性がある。飽きられたら新しい人材を探せばいい。もちろん、売れれば・・の話だが。
演劇、歌、舞踏だけにとどまらない。メディアのスター発掘の触手はあらゆるジャンルのスポーツや学問の世界へ伸びる。
だが。
スターシステム供給過剰になった結果、人材よりも過剰となり、“スターの手崩れ現象”が起こっている。とくにスポーツの場合、世界大会レベルの競技になると、その選手の実力の程度がハッキリ露呈してしまう。「宣伝だけで実際は大したことがことがない」と見る側を失望させる結果が頻発している。
見るほうも、実力よりも遥かに大きいカネや太鼓の音に気づき、ウンザリしはじめている。
浅尾美和。若さと美貌と、前向きさと溌剌さを持つ、ビーチバレー界の新スター。NHKの朝の連ドラのヒロイン型少女が、露出度の多い水着をきてビーチバレーに熱中している姿に多くの人がうっとりしている。
恋の仕組みは、ヒロインが自分を振り向いてくれそうでくれない“もどかしさ”にある。ゆえに朝ドラの主人公は、「どこかにイイ男いないかな」的な発言は絶対しない。ヒロイン各自に人生目標があり、それに邁進していて「恋愛どころではない」という設定にする。
浅尾美和の人気の仕組みもそうだろう。アイドルのように、最初から異性の目を意識した形だったら、こうは盛り上がらない。彼女の目はビーチバレーに注ぎ込まれ、決して「どこかに、いい男いないかな」的状態にない姿に、多くの人が熱中するのだ。
・・そういう状態が自然発生しているところに、メディアが注目したのだろう。
ハンカチ王子も同様。
白馬の王子は、馬上にいて自分とは違う世界を見つめているから素敵なのだ。
同じ席に座って水割りを作り、タバコに火をつけてくれたりなんかしたら幻滅なのだ。
王子とホストの違いは、熱中している対象があるかどうかだ。
ともあれ。
猛暑の折、熱中症にはご注意願いたいものだ。やる側も見る側も。



