
■福田首相、「権力の乱用」と民主へ怒りおさまらず
福田首相は9日の党首討論で「ひとつひとつに結論が遅い」と小沢一郎氏にブチ切れた。翌日のメルマガでも、「参議院の第1党という権力の乱用」と批判を続けた。
・・とはいうものの、この人の存在感の薄さは何か。
安倍晋三という先発投手がもろくも崩れ去ったための暫定的リリーフ当番、とはいえ、この存在感のなさはスゴイ。
そもそも、“存在感”とは何なのだろうか。露出の度数に比例している場合もあるが、それだけとも言い切れないはずだ。
その人が何が好きで何をやりたく、何に集中してるのか。このことが鮮明になっているかどうか、が大きな問題だろう。当然、風当たりや反発の度合い強い。しかし、安逸よりも主張を優先している人に漂うのが存在感なのだ。
福田は二代目首相。安倍の父も首相目前までいった人。ともにエリートで坊ちゃん風情ただようお方。
変人狂人の度合いは極めて少なく、極めて正統的な道を歩んできた人にみえる。
小泉も三代目の政治家だが、長年政治の世界でも変わり者で傍流を歩いてきた。群れをなすくらいなら、一人でオペラ観賞でもしたほうがマシという一匹狼の変わり者。田中真紀子からは“変人”と評された。
いかにその人が、自分の存在を自分で受け止めているか。人と異なった部分を受け入れているか。自分の孤独を捕らえているかにもよる。自分自身の光と影、長所と欠点をひっくるめたものを受け入れていないと立体感はでないわけで・・・。存在感は、その立体感があって初めて成立する種類の要素ではないか。
“民衆の無意識の力”というのもバカにできない。
本当の危機が来た際には、よくも悪くも小泉のような存在感のある政治家を出現させるものだ。
存在感のない人が総理大臣になっているということは、現在の政治状況が、その程度のものでよい、無意識はそう捕らえているのか・・・。
企業の創業者は強烈なワンマン社長が多く成功する。その下に仕える者は、創業者のいうことを何でも聴くイエスマンが成功する。どちらがよくてどちらが悪いということではない。魅力や長所なんてのは所詮、相対的なもの。成功だとか、才能というのも、相対的偶発的な部分が多く、大きな才能の影には大きな欠点もあるワケだし‥。
福田氏の“存在感のなさ”自体が、ポスト小泉のこの時期の、“首相になれた理由”なのかもしれない。
小泉内閣での官房長官、首相に直言する女房役としての存在感を持った。定評のある実務能力から、「影の外務大臣」などと囁かれた。「秘密主義長官、影の外務大臣、影の防衛庁長官。いろいろ言われるがしょせん影」と自らを語り、官房長官の辞任の際、「風のごとく来りて、風のごとく去ると」と続けた。
彼の場合、“影と風”がキーワードなのか。さらに「存在感がないことが存在感」。
まるで禅問答をやっている忍者のようだぜ。
田中角栄、竹下登、金丸信、細川護煕、羽田孜、渡辺美智雄・・・。手を組んだ者は皆壊れる“壊し屋”
小沢一郎と、“禅問答の忍者”の戦いはいかに。
まるで時代劇の名作“仕置き人シリーズ”を見ているみたいだぜ。
やはり。
二人の調停役をできるのは、藤田まことしかないのかな。



