
■内藤、引き分けで2度目の防衛に成功
イージス艦が防衛省の体たらくを披露したあと、内藤大助が素晴らしい防衛を披露してくれた。
素人目で見ても一目でわかる変則スタイル。
解説者すら、「内藤のボクシングは内藤にしかできない」と実況中に語るほどだ。
抜群に煌めくボクシングセンスを見せるわけでなく、
見た目が美しいボクシングではない。
二つ名を有す一撃必殺のバンチを持つでもなく、
思わず抱きしめてくなる甘いルックスの選手でもない。
理路整然と話す能弁家でもない。
あるのは、冷徹な戦略、運動神経とスタミナ、朴訥さと人のよさ、忍耐と継続。
これらの超地味カードをかき集め、掛け合わせてプラスにしたところに
“内藤スタイル”の花が咲く。
決して派手ではないが、設定した目標からブレず、地道な継続を延々と続け、
高みに到達したチャンプといえる。
自然界では、強いもの、速いものには、独自の美しさが備わる。
加えて、チャンプにまで上り詰めた選手たちには、各自独自のスタイルを宿す。
ボクシングは勝ち負けの試合であると同時に、美しさとスタイルの見せ合いでもあるのだ。
テレビで器用なタレントがそこそこのダンスを披露しても、宝塚の男役スターの踊りの足元にも及ばないのはスタイルがないからだ。イケメンの5匹や6匹(5羽や6羽でもいい)が集まっても、生半可な容貌だけでは「宝塚」という様式美の前に膝まづくより他ない。
スタイル。
スタイルを見つけた結果、人は安心感を得る。「自分はこれでいい」と思え、他人の動向に気をとられなくなるからだ。そして、それが風格に通じていくのに違いない。
ぜザンヌはいった。「ただ一つのリンゴを描いただけで、パリ中を驚かしてやりたい」と。
作家は己の文体を築き上げるのに血道を上げ、営業マンは自分のツボを見つけるために靴をすり減らし、女は目を皿にして自分に似合う服を探している。昨日も今日も明日も・・・。
「自分はボクシングのセンスはないが、運動神経には自信がある」
「チャンピオンになってもしばらくは、フルタイムの労働後にボクシングをした。だからスタミナには自信がある」
「奥さんに最初に出合い近づいたとき、彼氏がいると断られたが、めげずに何度も何度もトライした。」
・ ・・これらの内藤の言葉は、彼のスタイル構築の歴史でもあるのだ。
楽しい話もある。
「若い頃オカマ願望があった。女装をしたらあまりにも似合わなかったの愕然とした」。
減量中との戦いでもあるボクサー。その最中は、消化が良い麺類のうどん等しか摂れないのかも。
このチャンプは、オカマ願望の持ち主だけに、こう言うはずだ。
「う、どんだけー?」



