
■野茂、右ひじ手術からの完全復活なるか
招待選手からメジャー復帰を目指すロイヤルズの野茂英雄投手は29日、パドレスとのオープン戦で3年ぶりのメジャー登板.最速87マイル(約140キロ)ながら2回を3安打1四球自責点0に抑えた。2三振を奪う上場の出来だった。
ときどき座禅の本を読む。
そこには、「我々の日常における思考のほとんどは“妄想”である」とされている。
「座禅はそれを減らす効果があり、妄想が取り払われた先には安定した心の状態になる」とある。
ある物事に集中しているつもりでも、実は作業より妄想が勝り、エネルギーをそっちに奪われてしまうようなことは日常よくある。
実際、目の前の作業をしているつもりでも、その結果や周囲の目ばかり気になり、目の前の作業に集中できないこともよくある。あまり上手くいっていない恋人の存在が気になり、一日机に向かって仕事をしても、全然捗っていないなんてことも一例だ。
それらはすべて、取り組み中のこととは違った場所にある“妄想”気を奪われている状態に陥っていることになる。
・・・というよりむしろ、「我々の人生のほとんどが、妄想に振り回されっぱなし」といえるかもしれない。ぼんやりと仕事をしつつ半分は妄想にまみれ、勝手に喜び勝手に心配し、突然無関係な昔の失敗を思い出し恥かしがったりしながら、一人で疲れている。本質なことにエネルギーを使っているのか、妄想でくたびれ果てているのか、区別が付かないといってもいいくらい。少なくとも、自分などはそういう中途半端な人生を送っているようだ。
野茂英雄の生き様に、秀でた点が二つある。
一つは開拓精神。もう一つは、集中力である。
彼は“野球”(ベースボールではない)のヴァンガード(先駆者)であり、伝承者でもある。
これほどの成功者ならば、第二の人生の生活不安などかけらもないはず。
それでも途方もない努力とリスクを背負って野球を続けている。ただ“野球を追及したい”、その一心に全身全霊を傾けている。逆に、すぐれたスポーツ選手のなかには、まだまだ活躍できるのに、別の可能性に新たに踏み込んでいく、中田英寿のようなタイプもいる。
どちらがいいとは言い切れない。
しかし、彼は現在までし続けている仕事と、自己実現がピタリと一致し、長年そこからのブレがない。
生活のために仕事をし、「労働なし生きているなら、とっととやめたい」と思っている人が、世の中の多数だろう。野茂のオーラには眩い栄光と同時に襟を正す厳粛性を帯びて見える。
人生における体感時間は、逆ねずみ算式に減ってゆく。気力体力満々の前途洋々の若者が、気が付くと、虻蜂取らずの中年になってしまう可能性もある。
21世紀になり、情報技術に革命が起こり、すべての流行のサイクルが加速。
誠意を込めて、基本を築き、一つのことを徹底するという生きかたが、一層難しくなっている。
だがしかし、何の業界でも、どんな分野でも、いかなる技術者においても、それを貫いている尊敬すべき人たちがいることを忘れてはならない。
野茂のプレイには、単なるベテランプレーヤーというばかりではなく、そういったメッセージが含まれているような気がする。貫いた者にしか出せないオーラを放っているというか。
--こういった考えも文章も、所詮妄想の産物だろう。
ともあれ、いよいよ、野球のシーズン。
モウソウだけに、モウソンな季節かと呟いてみるわけで。
うーん・・・
野茂のフォークとご同様、こちらのブログも“落ち”の出来映えが気がかりなんです。



