
■「ズバリ言うわよ!」来年3月で終了
細木数子が出演するTBS系バラエティ番組「ズバリ言うわよ!」が来年3月で終了することとなった。
「今後はテレビ出演は減らして行きたい」本業に集中したい細木自身が降板の意向を示した。
視聴率の女王が抜けるとなるとTV業界の衝撃も大きいようだ。
・・・未来予測や祈祷の世界で、名をはせた人という類型では、「怪僧ラスプーチン」を思い出す。
グレゴリー・ラスプーチンは、1800年代にロシアの農民の子として生まれた祈祷僧。野良仕事中に突然マリアの啓示をうけ祈祷を始めた。人々の病をなおして評判を得、その神秘性と怪異な容貌から「怪僧」と呼ばれ、カリスマ的存在へ。ロシアの皇太子の難病を治療し、皇族の絶大なる信頼を獲得した。
影響力が増し、次第に皇帝の政治にも口を挟むようになる。と同時に周囲のの反感を買うようになる。
過去のスキャンダルが暴かれ、反発する親族たちの謀略の末、惨殺された。毒を盛られ、暴行され、銃で撃たれ、最後は川に投げ込まれたという。
・・・いやはや、なんともいえない凄まじい人生だ。
“神秘的能力”という、非常に曖昧なものを看板に掲げて生きるのはハイリスク・ハイリターンな道である。それだけ信念の強さが必要となる。
成功したら成功したで、地道な仕事で生きている者からの反発も食いやすい。
おそらく、普通の人が普通に生きるケースの数倍ものエネルギーを使うに違いない。
ゴールデンタイムにテレビを見る男性が極度に減ったことから、各局はメインのターゲットを女性に絞っている。すると当然女性週刊誌的な内容となる。芸能人のゴシップをこの時間帯では流せないから、人生相談と証したスキャンだリズムを放映しているのだろう。
細木数子は、その世界の卓越したスターだというわけだ。
それにしても。
細木と亀田一家のキャラが酷似しているのが面白い。この手のセンセーショナリズムを演じることができる人物が、テレビの中では光る素材なのか。
それとも、ネットや携帯電話などの双方向である21世紀型メディアが台頭していることへの、放送局の焦りなのか。“送りっ放し”の20世紀メディアの苦戦の様子が伝わってくるようだ。
実はこのラスプーチン。
「政治には強い関心のない取り巻きの一人に過ぎなかったらしい」との説もある。
しかし、皇后の寵愛があまりにも強かったため、周囲の親族たちの反感を買い、スケープゴードにされただけという見かたもある。
亀田興毅の傲慢さは実はパフォーマンスで、本人の実像は、なかなかのシッカリ者だった。
細木数子のキャラも、数字を稼ぐために一生懸命作っていた可能性もある。
いずれにしても、自分を含めた一般大衆はイラだってるようだ。常にスケープゴードを必要としてるほど、潜在的な怒りがたまり、それをせめてテレビに怒りをぶつけないと気がすまないのだろう。
「6星星術」でデビューを飾り、最後の番組「ズバリ言うわよ!」がTBS系(首都圏では6チャンネル)。ロクで始まり、ロクで締める。そして御歳現在69歳。
何か関係あるのでしょうか。

■ジャイアンツ、主力外人引っこ抜き
ジャイアンツがこのオフ、セの主力外人選手を軒並み、引っこ抜いている。
セリーグの選手を狙うのは、欲しい選手がセリーグ選手にいるからという点もあるが、
競争相手のチームの戦力ダウンも兼ねているという面もあろう。
プロ野球選手がよく、「子供に夢を」というが、それはどんな夢なのか。
「努力に努力を重ねて、自分の商品価値を上げようぜ」という啓蒙なのか。
「努力をすれば、何でもかなう」という楽天主義なのか。
いやおそらく、子供たちが見ている夢は、
「凡人がどんなに頑張っても、不可能な技術をここ一番で見せてくれる」ということだろう。
「超人的な技術をもった男を見たい、なりたい」純粋にただその一点に尽きるはずだ。
去年、小笠原選手がジャイアンツに移った。念願の優勝を獲得した矢先。大型年棒を手にする代わりに、北海道の熱烈なファンのもとを去った。素晴らしい活躍と同時に、こういうオマケが付くことは、子供の夢にはどんな効果があるのか。
30歳代後半以降の人々の場合、幼少期の日本が競争意識がまだ穏やかだったと思う。だから、資本競争に対しては、肯定的要素が大きく育ったと思う。20世紀の社会は、成功と幸福を混合して考えることがてきた。物質や情報が今よりまだ少ない社会だったから、物質が増えることが即、幸せに繋がった。矢沢永吉の「成り上がり」は、絶妙なバランスで社会的成功と夢と幸せが語られた、のんびりした時代ならではのエポックだ。
しかし21世紀になりバランスが崩れはじめた。
今の子供たちは、資本の競争論理のシビアな面に直面している。大人たちは自分が生き残るにに必死だし、そのストレスが子供にも感染、学校内でのイジメや引きこもりの遠因にもなっているようだ。
「頑張れば資本主義社会での立派な企業戦士になれる」という古めかしいニンジンに動くほど、今の子供はオメデたくはないはず・・・。
おいしい物を食べることを成功というなら、
おいしく物を食べることを幸せというのではないか。
いや、幸せにはどちらもある程度必要だ。
だが生憎、そのバランンスを取るのが非常に難しい時代に我々は生きている。
…とにかく難しい。
まあ、ともにこの先10年20年と、できれば皆で仲良く、時には酒でも交わし、楽しく生きて生きたいものだが。
さて、ヤクルトはこれからどうなるのだろう。
去年、岩村がメジャーに移り、今年古田が引退し、石井一が移籍、ラミレスが抜ける。
うーん。これはどんでもない事態だといえる。
将棋でいえば、飛車角金銀をもぎ取られた状態のこの球団は、t現在どんな戦略を持っているのか。
このタフな場面を凌ぐために、「タフマン」飲んで凌ぐのか。
ビビらずに乗り越えるには、「ビフィズス菌」をせっせと取るのか。
一番いいのは飲み物でなく、やはり夢だ。
夢を「ミルミル」気持が肝心。がんばれ!スワローズ。

■前防衛次官宴席同席疑惑の行方■
村上龍氏は、「依存は世の中の最大の悪である」と説いている。
依存とは何か。
自分の力を使わずに、何者かによって自分の行動を代替してもらうことである。
依存の反対語は自立である。
自立をしようとする場合、失敗はつきものだ。その最中には、苦しさを伴うことが多い。
だがしかし、自立ができたときには、なんともいえない爽快感を伴う。
この場合、途中の苦しさを克服するのが、「楽しさ」「好き」という感情である。
赤ちゃんが何度か転びながらも、歩行を覚えるのは、歩くことがが楽しく気持ちよいからだ。
自転車こぎを覚えるのも同様。歩行や走行では味わえない、スピードと爽快感を味わいたいゆえに、何度転倒してもトライする。
好きなことをしていると、気持ちいい。それが、自立する際の苦労をセーブする。
自立とは、物質面では「経済的に自活する」意味である。
精神面では、「自分の意図で行動する」ということ。
つまり、その人が「ビジョンを持っているか」が重要なポイントとなる。
ビジョンを持つことのでいないケースもある。
それは多分、自分の置かれている状況で、好きなことや興味をを見つけられない場合だ。だから、こだわりやモットーを見出せない。
なぜ好きなことを見出せないのか。
それまでの人生を、金銭や見返り、世間体など、外面を中心に考えてしまうとそうなりやすい。
そして、“自分”というものがシッカリしていないと、たやすくブレる。
中心がブレている駒は、よく回らない。ブレて回る駒は弱い―-と相場は決まっている。
贈賄する側も、手練手管の海千山千。相手の弱点には、すぐ目が行く。
「ブレている駒は、ただ飯でアッサリコロコロ転がるぜ」と見抜いている。
ギター演奏が好きな人がバンドを組んだ場合、ギターのパートを他人に任せたりはしない。
「タダ飯おごってやるから、ギターをオレにやらせてくれ」と誘われても断るだろう。
パブロ・ピカソが「ただ飯ゴチソウするから、女のカオをキチンと描いてくれ」といわれて、絵を修正しないだろう。(主体的に描いた美人画もアリ)
それとは逆に、世間を遊泳するには有利な立場にいる〜いわゆるエリート層のいくらかは、
しばしば、有利性や効率性に目が行ってしまい、自分の内面への目を失いがちになる。
世間を気にして、自分の本心を失うゆえ、自立性が弱く、ビジョンが育たない。
天才も革新者も、エリートからから出にくいのは、その理由からくる。
つまるところ。
好きなことを貫くには、勇気とリスクを背負うが、それが自立に繋がる。
他人の目の中に生きるのは、ラクで効率が良いが、それが依存を生む。
といえるようだ。
結局、「好きなこと(モノ、人)がない⇒弱い」ということになるのではないか。
愛着のあるモノ、大好きなこと、離れられない人、守ってあげたい相手・・・。
俗に、「愛は強し」というのは、そういうことなのだろうか。
そう見ると、収賄側へも贈賄側へも、本当に自分の仕事が好きだったのだろうか、なんて考えてします。そうじゃなかったとしたら、多少の哀れすら感じてしまう。
とはいいつつも、自分を含む大部分の人間は、物質的側面と精神的側面の両方を、あっちウロウロ、こっちウロウロ、毎日毎日揺れ動きながら、もがき続けて生るのだろう。
…いずれにしても皆様・・・ご苦労様です。
山田洋行元専務主催の口利き接待。料亭には、守屋、久間、額賀の3氏がいたことになっている。
だが、証人喚問での3者の意見は食い違う。
「絶対に秘密裏に」と釘を刺しあった約束も、逆境になると「額賀に釘」ってワケですね。
最後にもう一句。
「賄賄(ワイワイ)と 夫唱婦随で 守屋がり」

■星野ジャパン、北京五輪出場決定■
野球日本代表がアジアの代表件を獲得した。
相当なプレッシャーのなかの素晴らしい活躍。選手たちの必死の形相、究極のプレイに感動した。
その一方、大人たちがこぞって、異常なまでに勝つことへの執着心をあらわにしているところには、多少シラけたところがある。
「勝ち組/負け組み」という言葉が定着しつつある。「格差社会」という言葉が流行したのと同時期に普及した言葉だ。
競技というのは、その形態を具現化してゲーム化したもの。勝者と敗者の極端な二極分化させることにより、ゲームとしての真剣さを演出している。
しかし、その考えが社会構成にまで浸透し過ぎるとどうなるか。
勝ち負けにこだわり、その結果収入や立場が著しく変わるという、不自然な状況を当然と受け取るようになる。まさしく、「勝ち組/負け組み」であり、「格差社会」。
その特徴は・・
・目先の勝利や利益にこだわる。
・結果最優先主義に陥る。
・個人的なエゴの追及の容認をする。
という形に繋がる。
長期的な視野をおいた行動や、収益の少ないことへの情熱、リスク覚悟で何かに挑戦する勇気
などを持った人間に著しく不利な社会となる。つまり夢を持ちにくい社会となるのだ。
「二極化が過度に進行した社会は衰退する」という。
街の小さなパン屋さんがマクドナルドの激安バーガー戦略によって駆逐されている。
商店街が、巨大スーパーやコンビニの出現によってゴースト化している。
資本力の強いものが、小さい商店をどんどん吸引する。
そして。プロ野球がすでに、圧倒的な資本力のある。メジャーに吸引されはじめている。
商店街がゴーストタウン化すると子供や老人だけになり、街全体の活気が下がる。人情も消え、子供の犯罪が増える。プロ野球もやがて、下町の商店街のようになるのだろう。新人かベテラン、あるいは二流選手しかいない、スター不在の野球界になる日がくるかもしれない。
ところで。
TV中継の古田の解説が、話題になった。
「ヨッシャー!」を連発し、「OK〜〜!!」と叫びまくる。
知性のイメージが定着している古田ゆえに、論理的な解説をすると予想した者には、意外な展開だったに違いない。
あの放送席での彼の立場は何だったのだろうか。
解説者だったのか。応援団だったのか。タレントだったのか、ただの野次馬だったのか。
彼の発言の是非は、彼の置かれた立場をどう見るかによっても違ってくる。
ともあれなんとなく、“ちょっとオカシナ雰囲気”をかもし出していたことは確かだ。
「空気を読めない発言」を、“KY発言”といっている昨今、あの、古田の奇天烈な発言は何と呼べばいいのか。
“おかしな空気”を作っているので、
やはり「OK発言」といったところかもしれない。
こちらから見たら、「どうでもOK」という気がしなくもないが。

■オシム監督、脳梗塞で緊急入院■
人類の長い歴史において、長所と短所の変転はめ入れ替わることが多い。
脳梗塞というのは、脳内の血液が凝固することから起こる。
従って血液が凝固しにくい人というのは、脳梗塞を起しにくい。
つまり、同程度の怪我をした場合、脳梗塞を起しにくい人のほうが出血多量で死ぬ確率が高いのだ。
世の中には、完全なる長所というのはない。あるのは現象や特徴だけ。」それが、ケース・バイ・ケースで長所にも短所にもなるだけ。
精神分裂病などもそうだ。
精神部列病の患者の数は、100人に一人は存在するらしい。
この比率は、古今東西、どこでも同じだという。
左利きの発生率や美男美女の発生率も、古今東西変わることはない。男女発生率が基本的には5対5に近い線から変わることがないのと同じで、一種の天からのコントロールがかかっているのだ。
精神分裂病の場合、古代では、予知能力者として尊重された、巫女やシャーマンは、分裂病的気質を持っている人に多いらしい。人間の五感では図れないものを察知する直観力があるのだろう。
そういう気質が、長所として出た場合は、アーチストや作家にミュージシャンなどになり、短所として現れた場合に、分裂病などになるようだ。
「人類は、平和な時代はフツーの人が支配し、危機が来ると、異常者に統治を任せる」という言葉がある。
織田信長は、判断力、行動力に優れた戦術家に間違いないが、手の付けられない激情家で暴君だった。
上杉謙信は、戦争の天才だったが、普段は山に引きももり、天啓を待つ人で、生涯妻子を持たなかった。アドルフ・ヒトラーは、断固とした反対者でさえ、彼の演説を一度聴けば、アッサリ支持者にさせるほどの、演説の神様だったが・・・・。
正常異常は別としても、一つの長所の陰には短所が存在することには間違いがない。
脳梗塞にかかる人というのは、一般に、アグレッシブな人間といわれている人がいる。農耕民族よりも、狩猟民族に多いらしい。彼らは、体型もガッチリしていかつく、攻撃的である。高い運動能力と体力をもって獲物を獲得する。途中、道に迷わないように、高い方向感覚を持ち、チームで行動する結束力にも富んでいる。怪我をしても、出血を少なくするために、血液が固まりやすい体質を持つ…。
古代の勇猛果敢な猟師や闘士にとって有利に働いた特徴が、現代社会ではマイナスに作用している、ということになる。
1964年、ユーゴ代表の一員として東京オリンピック出場のため初来日した際、
見ず知らずの農村の老婆から梨を振舞われた。そんな日本人のホスピタリティに感激、たちまち親日家になったという。イビチャ・オシムだけに、日本にイリビチャってしまったのでしょうな。
一日も早い回復を祈るのみである。



