
◆同党内から三代続いた、世襲政治家の首相
世襲総理が三代続いた。
同じ党から、三代続いて首相となり、それがすべて二代目政治家。(小泉は三代目)ほんとんど世襲といってもいい。まるで徳川時代みたいである。
「売り家と唐筆で書く三代目」という言葉がある。
大きな家の持ち主でも三代目になると、教養はあるが家を継続する能力を失っている場合が多いということ。
イチローに息子ができ、野球の選手になったらどうだろう。
彼が4割打者になろうと5割打者になろうと、その息子の野球の成績へのアドバンテージはほとんどない。
長嶋茂雄がいかに不世出の天才バッターだとしても、彼の影響力において、息子一茂にクリーンアップを打たせることはできなかった。せいぜい地盤と看板を利用して、引退後にテレビキャスターにする程度だ。
「詩人の才能は一代限り」という言葉があるが、スポーツ選手もそちらに近い業種なのだろう。
父親がどんなに優秀でも、その息子の実力は、画家ならば作品を見れば一瞬で見抜かれる。作家なら2-3ページでバレる。スポーツ選手なら冷徹な“数字”がそれを示すってワケだ。
政治家という職業は、むしろ逆の職種といえるかもしれない。
政治という能力自体、人間関係調整能力に負う部分が大きく、実力の真相が漠然としている職業だからだ。
地盤、看板、カバンという。
カネがあって、本拠地があって、知名度という武器があれば、“実力”は4番目以降となる。
それこそ、父親の政治力一つでどうにでもなるわけで・・・。
長嶋茂雄がもし、その圧倒的影響力において、息子一茂にムスコクリーンアップを打たせたら、どうなるのだろうか。
・・安倍晋三状態になったりして。笑。
同党から三代続いた二代目政治家。
福田康夫はこれから、徳川でいえば、綱吉になるのか。吉宗になるのか・・。
まあ、頑張ってほしいものだ。
国民には、期待していない人も結構多いと思いますが。

■安倍首相、突然の辞職■
テレビでは相変わらず、一発屋芸人が泡のごとく出では消えている。
今旬なのは、「オッパッピー」の小島よしおだ。つい数ヶ月前に、ムーディ勝山のことを書いたが、小島の出現によって彼の存在も一気に薄まってしまったようだ。わずか数ヶ月、恐るべし芸人の世界!
・・・それにしても一発屋芸人の寿命がどんどん短くなっているなあ。
一発屋芸人の芸はほとんどが、不条理ネタである。まあ、理論と分析にヒネリを加えた笑いを作れる才能があったら、最初から一発屋芸人にはならないわけで。
小島よしおの芸を敢えて名づけるなら、「思考停止型不条理芸」と言えるかもしれない。
起承転結の「起」か「承」を提示した直後に、「でもそんなの関係ねえ」と強引に打ち切る。
解決策も視点の転換もひねりもない。勢いだけで断ち切ったあと、「オッパッピー」という素っ頓狂な造語で煙に巻いて締めくくる。
この一連の流れを、「ボディビルで鍛えた海パン姿とセンスのない踊り」という飛び道具で押し通す。
見る側に与える、突然志向停止させられた「意味が解らない」不思議な後味がこの芸の特徴だろう。
さて。
意味の解らなさでは、小島よしおなど足元にも及ばない、オッパッピーが政治の世界にいた。
我らが安倍晋三氏である。
大臣の任命方法、出処進退のタイミング、政治手腕。加えて、悪評に関わらずこだわり続けた、記者会見時のカメラ目線。すべてにおいて、不条理さの三拍子四拍子も兼ね備えた強者だ。
そしてついに。所信表明直後、本会議直前の突然の辞任ときた。
見る側に与える、突然志向停止させられた「意味が解らない」不思議な後味が彼の特徴だろう。
小島の「オッパッピー」にあたるキメ言葉がないことが、切れ味の悪さに一層拍車をかけている。
いくつかのカルト的教団とかかわりを持ち、人事や決断にもそのご宣託の影響があったとの説もある。
脱税疑惑が起こり、尻尾を握られ身動きできなくなったとの説もある。
それならまあ、「不条理」さも理解ができるかも。
日本の政治の歴史でも、世界の政治を見ても、こういった辞任は異例中の異例だという。
しかし、戦後60年間、一党がほぼ独裁の形で政治をやってきた、ということ自体が異例なのだ。
その淀みきった腐臭が、こういう形で噴出しているのだろう。
安倍氏は今頃、病院でどのような思いでいるのだろうか。
「あ〜、下手こいた」といって頭を抱えているのだろうか。
そのあと、水着姿で踊りださなければいいが。

■なぜ議員はクセになるのか■
権力は魔物だといわれる。
容易に人を狂わせ、人格を変え、道をも誤らせる力を持つ。
その圧倒的な魔力に、人はたやすく振り回され、己を見失う。
権力を得ことる、すなわち“自己万能感”の拡大。
その快感以外にも、政治家の場合、以下の二つの強烈な刺激が伴っている。
A)賭博的要素
B)依存症的要素
●賭博的要素
賭博の最大の目的は勝敗でも金儲けでもない。
体中の血がわきかえる興奮、刺激だ。
よって賭博者は案外、負けることに頓着しない。
「勝負の次にいいものは敗北」、「敗北には勝利以上に、勇気と品格が求められる」
なと言い、「勝利が敗北に優る点は、勝てばギャンブルを続けられることだけ」とさえ言うものもいる。
選挙の仕組みも選挙とほどんと同じだ。
選挙は各議員の一世一代の賭け。
ときに、失敗のリスクは成功の確証よりもはるかに魅力がああり、勝利よりも悲劇に強くひきつけられることさえある。燃え立つような刺激。
選挙に出たがる人は、もともとこれを欲しているタイプの人たちなのである。
●依存症的要素
「買い物をしたとたん、思考力を失う。ライブ鑑賞の興奮のような状態になる」買い物依存症の人は言う。
これは「神経伝達物質」がなせる業。
商品を見た刺激が覚醒物質「ノルアドレナリン」を出す。財政を考えると不安でストレスがかかる。それがさらなるノルアドレナリンの放出を招く。
購入の判断をくだすと気分が落ち着く。すると、爽快感をもたらす物質「β・エンドルフィン」が出る。大量のβ・エンドルフィンはドーパミンを誘発し、、高揚感、興奮、快感をともなう。
苦痛を和らげるために脳内で分泌されたこの3種類の物質。依存症の人は、依存する対象物そのものよりも、この物質を欲しがっているに過ぎない。ついにはクセとなり思考力を失い、無意識にパターン化した行動をとる。マラソンのランナーズハイもこの図式といえる。
買い物依存症の場合、買い物が刺激となるものの、すぐに後悔をするという。そこから脱出するためにさらに買い物をし、依存症に陥っていく…。
選挙という賭博にとてつもない興奮を感じたあと、当選という至福感を抱く。
このときのノルアドレナリン、βエンドルフィン、ドーパミンが脳内で大発生され、異常な快感は絶対に忘れることはできまい。当選した暁には、今度は権力の快感をタップリ味わう。
地位、名声、賞賛、期待、権力それらが手に入り、自己重要感が膨らむ。
この刺激は、強烈な快感となって、何度も何度も味わいたくなる。
次第に渇望状態となり、依存症的な状態に陥ってくる。
そんな図式になるのではないだろうか。
ゆえに、膨大な権力を握った議員ほど、それへの固執が強い。
国民から総スカンを食らおうとも、不可解な行動を取ろうとも、何度落選しようとも、厚顔無恥といわれても、結局はやめられない。
ある種の依存症に近い状態になっちゃっているのだろう、と思うのだが。
「アベシン(ノスケ)の キャプテンシーが ボクも欲しー」
アベシン(ゾー)が巨人戦の中継を見ながら、一句詠んだとか詠まないとか。

■佐賀北高校優勝と桑田の戦力外通告■
(8月の末にいくつかの仕事の締め切りが重なり、9月2日に池袋で我がロックバンドのライブイベントを行いました。少々バタバタしており、時事ネタとしては、少々古くなってしまったことをお許しくださいませ)
第89回高校野球大会は、佐賀北が優勝した。
この大会の開催時を前後して、ちょうど高校野球と縁の深い人のさびしい出来事も重なった。
ひとつは、野球好きでも有名で甲子園をテーマにした詩も書いた阿久悠氏の死去。もうひとつは、元広島商高のエースで達川光男氏とバッテリーを組んで甲子園でスターとなった佃正樹投手の死去。そして桑田真澄投手のパイレーツ戦力外通告である。
この大会の最大の見所はなんといっても、佐賀北と広稜の決勝戦だろう。
佐賀北が5点差をひっくり返した8回は圧巻だった。
世間の話題は、佐賀北の1点目となる、押し出しのファーボールに話題が集中。
その微妙な判定が今でも疑問に残っている。
映像を冷静に見ると、あれはストライクだろう。
佐賀北は、県立高校である。当然セレクションなんてできない。
限られた資源人材とでやりくりしてきた学校である。
一方、広稜は高校野球のエリートだ。資源財源もそろい、人材セレクション、越境入学はあたりまえ。野球を特化させることに資本投下してきた高校でだからだ。
本来なら、試合前から3点くらいのハンデを与えてもいいくらいの力の差があるのかもしれない。
しかし、佐賀北には勢いがあった。決勝進出まで、奇跡的な延長戦、逆転劇を繰り返してきた。
加えて両者のハンデ自体が、観衆に“判官びいき”的な共感を呼び寄せ、観客やテレビの視聴者の大半は佐賀北を応援するようなムードとなった。トーナメント戦独特の“魔物”があの8回の逆転劇を呼んだのだろう。
以前、ある映画を観たことがある。
熱愛する若い二人が結婚をした。貧しいなか苦労を重ねて愛だけを頼り始めた結婚生活。
二人の門出の記念としして「“お気に入りの食器”を大切に箱の入れ、タイムカプセルとして20年後に再びあけよう」と約束をした。
約20年後、二人は平凡な父と母になり、そんなことはスッカリ忘れていた。
引越しの際に、妻が押入れの奥からその箱を引っ張り出す。
思い出の食器は、美しくもなんともない、時代遅れの薄汚れたただの食器だった、というお話。
美しき錯覚。
恋愛における思いが、ごく平凡な食器ですら、類稀なる美しいモノにしてしまったのだ。
で。
決勝戦のあの疑惑の判定に対して・・
佐賀北の活躍は当然のこと、
広稜の野村投手の投球スタミナ、精神力、も素晴らしかった。
試合後、広稜の監督が、「自分の監督生命をかけても抗議を」というものエライ。
あの審判は、どうなのか。
あれは誤審ではなく“錯覚”なのだと思う。
スタンドの膨大なる観客の圧倒的多数が佐賀北を応援し、(多分テレビ視聴者もそう)
その意識が、無意識的に主審にも乗り移ったのではないか。
誤審でも、疑惑でもなく、ただ審判の錯覚だったのではないか。
いくら審判とはいども、数万人の思いが集まれば、錯覚を起こすことくらいある。
サッカーの世界大会などでは、よくあることだし。
野球特化戦略において資本投下してきた私立高校と公立高校には
歴然とした「佐賀」ある。そういう公立学校に「乞う支援」、ってなワケだ。
桑田は、そうこうしているうちに、
来シーズンも再び選手を目指すほうに気持ちが傾いているみたいだ。
個人的には、そろそろ潮時だと思うがどうだろう。
「ナイスガイだが戦力外」と言われているうちが花。
これ以上はの思い入れは錯覚を呼び、
戦力外どころか“問題外”扱いされてしまう可能性もある。
ご注意を・・。



