似顔絵川柳byイラストレーター・ヨネヤマフミアキ@アトリエ ユーティリティ1
政治、芸能、スポーツ・・。さまざまな分野の似顔絵に、独自の切り口の川柳のコラボレーション。ほぼ毎週、土or日曜日に更新しようかなと思っていましたが・・・。テキトーにやってます。
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妖精の仕組み〜浅尾美和
浅尾美和

■砂上のアイドル、マーメイドカップ3位に■
テレビ離れが進行している現在、マスコミが最も欲しがっているのは、「スター」である。

元来、スターとかヒーローというのは、“憧れ”の存在を商品化したもの。
そして、“憧れ”というのは、人間の各コミュニティに自然発生するものだ。

・学業、要望、人望がそろった近所のガキ大将。
・賢く、優しく、美しい、町内一の美人。
・酒が好きで、喧嘩っ早いが、いざというときには頼りになる、
町内会のオヤジ。
・聞き上手で相槌上手だが、いうことはシッカリ言う飲み屋のオカミ。
・聴けば何でも答えてくれる、ご隠居さん。

などなど、人間が作るコミュニティがあるところには、
必ず“憧れ”の対照が存在するのだ。
つまり、マスコミがなくても勝手に存在するものである。
スターというのは、それらをマスメディア用に誇張化し、ショーアップした商品。
さまざまな媒体を用いて戦略と宣伝で、それを作ることをスターシステムという。

実際にスターほどオイシイ商売はないだろう。
普通よりちょっと美貌やその他の才に恵まれた少年少女に、衣装を付け、振り付けを施し、歌を吹き込ませるだけで、何億と入ってくる可能性がある。飽きられたら新しい人材を探せばいい。もちろん、売れれば・・の話だが。

演劇、歌、舞踏だけにとどまらない。メディアのスター発掘の触手はあらゆるジャンルのスポーツや学問の世界へ伸びる。

だが。
スターシステム供給過剰になった結果、人材よりも過剰となり、“スターの手崩れ現象”が起こっている。とくにスポーツの場合、世界大会レベルの競技になると、その選手の実力の程度がハッキリ露呈してしまう。「宣伝だけで実際は大したことがことがない」と見る側を失望させる結果が頻発している。
見るほうも、実力よりも遥かに大きいカネや太鼓の音に気づき、ウンザリしはじめている。


浅尾美和。若さと美貌と、前向きさと溌剌さを持つ、ビーチバレー界の新スター。NHKの朝の連ドラのヒロイン型少女が、露出度の多い水着をきてビーチバレーに熱中している姿に多くの人がうっとりしている。

恋の仕組みは、ヒロインが自分を振り向いてくれそうでくれない“もどかしさ”にある。ゆえに朝ドラの主人公は、「どこかにイイ男いないかな」的な発言は絶対しない。ヒロイン各自に人生目標があり、それに邁進していて「恋愛どころではない」という設定にする。

浅尾美和の人気の仕組みもそうだろう。アイドルのように、最初から異性の目を意識した形だったら、こうは盛り上がらない。彼女の目はビーチバレーに注ぎ込まれ、決して「どこかに、いい男いないかな」的状態にない姿に、多くの人が熱中するのだ。
・・そういう状態が自然発生しているところに、メディアが注目したのだろう。

ハンカチ王子も同様。
白馬の王子は、馬上にいて自分とは違う世界を見つめているから素敵なのだ。
同じ席に座って水割りを作り、タバコに火をつけてくれたりなんかしたら幻滅なのだ。
王子とホストの違いは、熱中している対象があるかどうかだ。

ともあれ。
猛暑の折、熱中症にはご注意願いたいものだ。やる側も見る側も。

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ダルビッシュの優越性〜ダルビッシュ有&サエコ
ダルビッシュ有&サエコ

■ダル、サエコとの懐妊婚を発表■

ギフテッドという言葉がある。
人間100人あたりに、2人ほど発生する、高すぎる知能や能力を持った人間のこと。
天才という言葉が、陳腐化、イメージ先行化しすぎたため、客観的に再定義しなおした言葉なのであろう。

天才というと、奇人、変人、夭折、等、デーモニッシュなイメージのオマケがどうしてもセットになってしまう(そういえば、天才を自称するタレント的な芸術家が出現したりもした)
ギフテッドというと、「そのジャンルの中での上位2パーセント以内に入る知能や知覚の持ち主」と区分が明確である。

イチローや中田の魅力は、ただ単に選手として優れているからというわけではない。大学受験をしていれば、東大合格も間違いなしといわれる、アタマの良さからくる言動も、スターとしての要因のひとつだといえる。スポーツと知性の二種類の輝きを持っているというワケだ。

ダルビッシュはプロ野球の投手としてもギフテッドの領域に入ることに間違いはない。
ぶっきらぼうな印象を与える言動や、未成年時の喫煙事件等から、“ワルビッシュ”と揶揄されたこともあった。そんなものは平気で跳ね除け、クレバーさと器用さと剛球で快進撃を続けている。

彼にも、もうひとつの“輝き”がある。
190センチを超える身長と端正なマスクを持った、圧倒的な美貌である。
野球などしなくても、有名でなくても、何もしなくても立っているだけで美女が寄ってくるルックスの持ち主でもあるのだ。

以前、吉本興業の講師が若手芸人にスピーチをしている映像を見た。芸人は成功している有名人。
「とにかく売れろ。売れれば金も入ってくる。美女だって手に入る!」と発破をかけていた。
若手芸人やらスポーツ選手は、地位や名誉などと同時に、美女を獲得するためにさまざまな艱難に耐えている。

だが、ダルビッシュはすでに何もしなくても、その一部を獲得できる要素を持ったものとして生まれついているわけだ。

にも関わらず。
これから20代の外交的生活を無限に楽しめる素材でありながら、弱冠20歳であっさりと結婚。子供を授かり、家庭生活へと入ったわけだ。

彼なら数年してメジャーにいっても活躍はできるだろう。
成功した暁には、恐らく海外でも、そのルックスが話題になるだろう。欧米のモデルや女優とも堂々と渡り合えるルックスも持っており、CMなどではその可能性も出てこよう・・。

しかし。彼にとっては、そういうことはどうでもいいのかもしれないな。
人間ってのは、何も努力せずに先天的に持っているモノに対しては、ありがた味を感じにくい。
無名の人がセレブに憧れ、不細工が美人に憧れるのと同様、ないものねだりをするのが人間。
案外彼は、「無」の境地で野球をやっていたりして。

さてさて。
子供が生まれたら、どんな名前にするのだろうか。
男だったら、「ダルビッシュ.JR」 になるだろうから、
「ダルビッシュ’(ダルビッシュ・ダッシュ)」というセンもある。
思い切って父親と正反対の方向で「ダルビッシュ無」なんていうのはどうだろか。

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新王子の引き立て役は断固拒否〜朝青龍
朝青龍〜息青沈

■続く朝青龍騒動■

世界の民話を研究した本を以前読んだ。
古今東西の民話には共通した特徴が、いくつかあるという。
●“勧善懲悪”の話が多い。
●正義の味方と悪者の差が明確である。
●正義の味方には知恵と勇気と力の持ち主である。
●悪者には、嫉妬、エゴイズム、謀略の持ち主である。
ということだった。

登場人物の特徴も共通しているらしい。

●正義の味方は、スラリとして平均かそれ以上の背丈で、
●色が白く、背筋が伸びている
●スマートな動きをする。
●悪者の特徴は、色が黒く、ごつごつしている。
●極度に小さいか、デカイカの極端な体型。
●不器用で厳しい動きをする。
とあった。

なんのことはない、ウルトラマンや仮面ライダーの正義の味方と悪者の公式にすっぽり当てはまるのだ。

昨年の甲子園。
早稲田の斉藤祐樹と駒沢苫小牧の田中将大の熱戦は、二人を一躍国民的ヒーローに押し上げた。
しかし、田中のインタビューが印象的だった。
「結局いつも、斉藤が主役で僕は悪役・・そんな気がいつもしていた」。

マー君もけっして不格好な男ではない。しかし色白で端正な佇まいのハンカチ王子と比較すると、惜しいかな、そういう役回りがつくことは否めない。容貌以外にも、早実という都会のイメージと、北海道という北の大地のイメージもあいまって、キャラ設定が自然にできあがってしまったのだ。

ギャラクターとは、「本人の努力や本性に関わらず、要望、経歴、環境、背景などによって周囲が勝手に決め付けるイメージ」なのである。

さて朝青龍。

彼の今回の騒動の原因はいろいろな声があがっている。
「日本の相撲協会が、双葉山の勝利の記録を、外国人である彼が破るのことを嫌がることが遠因だ」という声。
「モンゴルでサッカーをやるということは相撲に対する冒涜だ」という一部ファンの声。
「朝青龍は仮病なのではないか」という疑いの声。
「朝青龍の親方の行動もナットクできない」という声もある。

どの説も一理ある。
ここはひとつ、「白鵬の登場」が彼に大きな影響を与えているという声をあげたい。

それまで長らくのあいだ。悪役的要素があるとはいえ、彼は東西の唯一の横綱であった。
序列の厳しい相撲界。そこでの圧倒的な唯一の強者で過ごした朝青龍。
いわば角界の天皇以上の存在だ。

そこに新しい横綱が登場した。白鵬だ。
兄弟でいえば、一人っ子だった長男に、ある日弟が生まれた、というのと同じだ。
兄弟の関係において、兄は、弟ができると“子供がえり”をするという。それまで自分が独占してきた親の愛情。それがが弟に注がれることに不満を抱き、わざと親の手を焼くような行動を起こし、弟に向かった注意を引き戻そうとする行為。


朝青龍の弟は白鳳だ。
スラリとして、亡羊として、品がある。「気は優しくて力持ち」、色白の好青年。
上記の民話の定義を当てはめた場合、完全な正義の味方に属する。
そして・・・。朝青龍は明らかに完全に悪役側になる・・。

朝青龍は、もともと悪役系ではあった。しかし、たった一人の横綱なので、今までは多めに見てもらえた。
しかし、白面の王子がライバルとして登場してきたからたまったものではない・・。
朝青龍の言動がギクシャクしてきたのも、そのころからだという気がする。
ような心理回路が働いて、今の騒動につながっているのではないか、と思っている。

・ま、相変わらずの妄想ですが。

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パンクとロックのパンチキック〜布袋寅泰
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■布袋寅泰、町田康を暴行■
人間には、人間関係が持続する人とそうでない人がいる。
ロックミュージシャンもそうなのだろう。

布袋寅泰の場合はどうか。
BOOWY時代に下積みを経てブレイクをするも数年で解散した。
吉川晃司とのユニットを組み、チャート初登場1位を記録するもすぐに解散、
そして今回、町田康ともコラボを組もうとした矢先に事件が起こった。

私生活でもそう。
高校卒業直前に長髪を教師から指摘されたことがキッカケで中退、
年上の山下久美子と一度離婚してる。

しかし、そういうゴタゴタがありながらも、着実に日本のロックギタリストとしての第一人者の地位を築き上げている。
彼はおそらく、説得や論理で協調を得るタイプというより、情熱や好き嫌いで進めるタイプなのだろう。

幕末の逸話で有名なものがある。
坂本龍馬が勝海舟を暗殺するために勝邸に乗り込んでいったものの、逆に勝の話を聴いて薫陶されてしまった話。だが逆のケースもある。西郷隆盛の弟・従道も勝の話を聴きにいった一人だが、激怒し、二度と会うことはなかったという。
同じ人物に説得されても、受け取る側によって、その反応はまちまちなのだ。

感情が優先するタイプの人は、エンジニアや数学者系ではなく、詩人やミュージシャン向きといえる。
布袋の楽曲を聴いても、計算されつくしてクールなものというより、情熱の昂ぶり訴えるタイプのものが多いよう気がする。ビーンと好きになって、ガチャーンと喧嘩をするかたちの熱情なのだろう。

だがしかし。
あの190センチを超える超巨漢。あの大振りでな厳つい顔。
その激情を間近でぶつけられたら、さぞかし怖いだろうな。
布袋自身は軽いボディブローのつもりでも、
やられた側は、“さらば青春の命”になりかねない。
ボディブローとほていブローは、体格の差でもある。

あまり暴れすぎて、どこかに閉じ込められると、
“ほていの缶詰”になっちゃうのでご注意を。

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"テレビ"とは悪友どころか親友だった〜阿久悠
阿久悠

■作詞家の阿久悠氏死去■
作詞家で小説家の阿久悠氏が亡くなった。
作詞をするだけではなく、アイドルの発掘から企画構想、売り出しにも関わる、といったプロデューサー的存在だったといえる。90年代の小室哲哉、00年代のつんく♂の先駆的存在だったのではないか。
スゴイ人だ。

正直いって、歌謡曲における作詞の重要性がどの程度のものかがよくわからない。
良い歌詞ではなくも、楽曲が良いという理由でヒットすることはある。だが、良い歌詞持った良くない曲がヒットする可能性は低いだろう。

英語詩がわからなくても洋楽に感動することがあるのと同じ理屈で、楽曲のよさと比較して、作詞がどの程度訴求力に関わっているか、という部分がピンとこないのだ。
(永六輔氏が作詞家をやめてしまったのも、その辺に理由があると以前聴いたことがある)

阿久氏が作る作詞のよさだとか、5000曲の歌詞を書いたということも、同様の理由で、スゴイかどうかよくわからない。
では、彼のどこをスゴイと思うのか。
一言でいえば、“ポジショニング”だ。

スポーツの例を挙げよう。
同じ時代のスポーツ界は、プロ野球など少数以外はほとんど暗闇に近かった。サッカーやバレーが存在しなかったわけではない。ジャイアンツとその周辺のみにスポットが当たっていたために、彼らが輝いているように見えた。しかし現在は、さまざまなスポーツに光が当たってるので、野球のみがひときわ輝ける存在ではなくなっただけだ。

阿久悠氏は、
少年少女から素材を見つけ出し、花びらのような衣装と、金粉ちりばめた楽曲を提供し、
寡占状態のテレビという拡大鏡でヘビーローテーションをすることによって、国民的“物語”を作ってみせたのだ。そういう時代に、そういう場所で、国民的“物語”を作り出せるとうポジショングにたてることがスゴイと思った。もちろん偶然なんだろうけど。

1989年に、昭和天皇と手塚治虫と美空ひばりが死去した。
その後から日本のバブル崩壊が始まった。
時代を象徴する人というのは、この世を去るタイミングにも何らかの象徴をこめることが多い。
阿久悠の死も、テレビというメディアの転換時点を示唆しているのだろうか。

ちなみに。
“阿久悠”というペンネームは、“悪友”から採ったものらしい。
てっきり、“阿Q正伝”からとったのかと思っていた。笑。

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“改革の痛み”の意味するものは〜小泉純一郎&安倍晋三
安倍晋三と小泉純一郎

■自民党、参院選で歴史的大敗■
運動不足を解消すべくジョギングを始めた人がいると仮定しよう。
最初の数日間は体が重い。なんとかノルマをこなしていくと、今度はだんだん足が痛くなってくる。
太腿の痛みだったら、筋肉痛だろう。体が慣れ痛みはなくなる。
だが、アキレス腱などの場合は、炎症である可能性もある。無理して続けないほうが良い。
そこらへんの、“痛み”の判断を間違えると、とりかえしのつかないことになる。

安倍さんか継承した、小泉内閣の改革もこれに近い。
小泉さんは、「改革には痛みが伴う」という名台詞を残した。
これは一見、なかなか説得力のある言葉である。
しかし、「適切な処置をした場合でも、効果が出るまでには(痛みが伴う)」という但し書きが必要だ。
つまり、「処置が適切でない場合は、痛みしかない」ということなのである。

地方の文化や経済が壊滅的な状態になり、ワーキングプアが深刻になり、お年寄りへのケアが無残にカットされ、喜んでいるのは大企業だけ・・。それが日本の現状である。
歴史的大敗を喫した選挙後でも、安倍さんは改革続行宣言を行っている。ジョギングの例でいえば「この痛みは、筋肉痛であり、しばらくすれば治る」と主張しているワケである。

20年前のスポーツに対する考えでは、“兎跳び”が奨励されていた。筋肉に致命的な無理がかかる現在では、これをやる人はいない。また、運動中に水分補給を禁止していた。熱中症の遠因となるので、現在は禁止する人はいない。時代が進むにつれ、これらの不適切な処置が改善されていっている。

安倍さんが継承する小泉改革。その痛みは、ひょっとして“兎飛び”的痛みだたったのか。
いまだに、兎跳びや水分禁止を奨励しているような運動部からは、多くの部員が去っていく。
組織票威力の激減、地方一人区の大敗、農村部での敗退が、それを示しているではないか。

どうやら、時代と比べ、進行方向が逆転しているようだ。
小泉さんと安倍さんだけに、「ジュン番が、アベこべ」になっちゃっているワケですかね。

かつて、小泉さんと相性の良かった国民。
しかし今になって“離縁”をたたきつけたようにも見える。
小泉さんは、この結果を見て、なんと言っているのだろう。
「勘当された!」
とでもつぶやいてたりして。

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