
■TV局発の神風特攻隊たち
“世界のナベアツ”を最初見たとき、「随分変な髪型をした高杢禎彦(元チェッカーズ、古ゥ)だなあ」と思ってしまった。あの髪型は、強力な圧力鍋を使ってセットしたからナベアツというのかな、とも思ってしまった。
彼の「3の倍数ネタ」自体は、古典的なギャグである。昔の「モンティ・パイソン」にもこの手のコントがあった。舞台設定は医師と患者。「先生、ボクは“ラ”の音を話そうとすると、どうしてもシャックリが出てしまんです」という設定で、最後は医者にも感染して二人でシャックリしまくるというモノだったとおもう(記憶は曖昧ですが)。
“世界のナベアツ”は、エド・はるみと同じ“遅咲き兼業芸人”と分類できよう。エドの場合は兼業ではないが、今後は女優回帰も可能なキャリアがある。ナベアツは、過去に漫才コンビを組んでおり、近年放送作家の仕事がメイン。この手の芸は短期間で飽きられるのは目に見えている。一発屋に終わっても、知名度を獲得しておけば、のちに放送作家に戻っても有利だという考えもあるに違いない。現代のテレビ芸人において、“兼業芸人”が一番賢い道に見える。
閑話休題。
最近、関東エリアでのラジオでの巨人戦放送スタイルが変わっている。土日の場合は、巨人がデーゲーム放送、阪神戦がナイター放送となることが多い。巨人戦をゴールデンで流しても、阪神戦には勝てないと放送局側も踏んでいるのか。
「野球人気が低迷しているというが、巨人戦の人気が低迷しているだけ」と最近まで思っていた。だが様相が異ってきた。広告費の低下や若者層のテレビ離れが顕著となり、「テレビ人気が地盤沈下を起しているようだ。雨後の筍のごとき送り込まれる“瞬間芸人の連射”は、局側の焦りの対応なのか。この瞬間芸人群、第二次世界大戦背水の陣の際、日本海軍が送り込んだ神風特攻隊のようにさえ見えてしまうから寂しい。
文化事業へのスポンサードというのは、基本的には資本家が布施をするつもりで行わなくてはならない。損得勘定抜きで文化を提供するところに品格が漂うわけだ。日本のテレビにも、80年代あたりまでには風格の名残はあった。ゆえに大スター、名番組が登場した。しかしスポンサー側にも余裕がなくなり、利潤追求が強くなるにつれそれは弱まり、ネットという21世紀メディアが出てきた途端に今の急展開にいたっている。
とういわけで、さすがのナベツネも最近露出が少ない。
この際思い切って、心機一転、ナベアツに巨人を仕切らせたらどうだろう。
彼なら、「3の倍数と3がつく数字のときには、アホになるデー」みたいな日を作って、ファンサービスにいそしんでくれるのではないか。「ボールスリー」をカウントするときには、審判はアホな声を出す、とか。3塁の塁審はアホの坂田がやるとか。3点目のホームインの際は、鼻水を垂らして白鳥の湖を踊らなくてはならない、とか。そんな視聴者獲得戦略を打ち出すに違いない。
この采配が成功したらナベアツもビックになるだろうな。雑誌のインタビューとかにもドンドン出ちゃうに違いない。
その際、どんな雑誌に出るとよいか。
やはり、お勧めするのは、「ビック・オモロー」あたりかな。
それでは皆さん、
・・・オモロー!

■「グ〜」で大ブレイク エド・はるみ
役者と乞食は一度やったら辞められないという言葉がある。
・・・長島一茂がある本で語っていた。
「野球選手ではダメだったが、芸能人として成功できた。しかし、観客5万人の球場でホームランを打ったときの歓声には、何物も及ばない。今でもその夢を見る」と。
・・・歓声と拍手。“舞台欲”というのは、それほどの魔力を持っているのだろう。
エドはるみ。90年代には舞台で活動する、“出川哲郎をクンづけで呼ぶ女優”だった。PCインストラクターとマナー講師を経て、2000年になってからお笑いに転じて舞台へ。現在に至る。
正装に身を包んだ、整った風貌。
明快な話し振り。
美しい姿勢とマナー。
その一方、
お世辞にも上手いとはいえない奇妙なダンス
古臭いBGM(Nack の “My Sharona”)
韻を踏んだ自虐的なギャグ
・・・これらを40歳を過ぎた女性が熱演するという芸風だ。
最後に“good”と前向きに受け入れているところがミソでもある。
おそらく。このネタ(というより本人)が、
20代前半で美人だったらウケなかったかもしれない。
プロポーションがバツグンで、ダンスが上手くても嫌味になるに違いない。
酒井順子の「負け犬」という言葉が流行り、コウダクミが、「羊水が腐る」発言で
バッシングを受ける難しい時代。
絶妙なバランス感覚が、この微妙な芸を生んだのに違いない。
その一方、ある女子アナの悲劇もある。良家の生まれで名門大学を出、超一流放送局に入って、いくら食べても太らなくてモデル顔負けの体質の美人アナウンサー。そこまで出来すぎだと、フリーランスになってあまり売れなくなったのは、ある意味で仕方のなかったことかもしれない。
すべてに勝つことができない。世の中というのは、無意識のうちにバランス感覚をとるワケだし。
パーフェクトなものはつまらなく、ちょっと壊れたところに味が出るってこともある。
エドはるみの流行は、そんな“バランス感覚”の集大成ともいえよう。
多くのメディアが並存する現在。その中でテレビの特化している機能は、IAS(※)という伝達効果だ。挨拶するとか、名前だけ知らせる機能。動画機能も包括したインターネットに、テレビジョンが勝てる要素は、もはやそこしか残っていない。
テツandトモ、ゲッツ板谷、ヒロシ、小島よしお・・・。延々と続く一発芸の流行が、インターネットの登場と同時に登場しているところが、それを証明してるのではいないか。
そしておそらく、「IAS対応ギャグだけでは、芸人として長くは持たない」ことは、おそらく芸人のほうでも了承済みなのであろう。
しかし。
他の一発芸人違って、エドはるみには、女優としてのキャリアがある。
「(一度名を売れば)飽きられても女優でイケる」。そこら辺のバランス感覚もキチンととっているに違いない。
今後は、この手の
「本来何かの実力を持ち、ブレイクのキッカケを掴むだけ」というタイプの、“本業告知型芸人”が増えるのではないか。IAS対応型芸人というか・・。
小島が、「そんなの関係ねえ」と開き直り、エドは、「Good」と、破れかぶれな前向きさ。
人類滅亡を100%否定できない現代の漠然とした空気感。男はヤケクソ、女は開き直りで対処するといった男女差を表してるいるようで、面白い。
エドはるみ。
エドは、“エド・サリバン”からとったという。
てっきり、エド山口の妹で、都はるみの親戚あたりかなと思ったのだが・・。
注)※IAS⇒「インパクトだけ 与えて サヨナラ(Impact_dake Ataete Sayonara)”の略。⇒当然、アホ筆者の造語 笑」」

■サザンオールスターズ、無期限活動休止
不機嫌になった、というかガッカリした人は沢山いるだろう。
ライトファン歴20数年、シングル数枚、アルバム数枚買っただけ、コンサートにすらいったこともない私でも、このニュースは少なからずのショックを受けた。
サザンオールスターズが無期限解散となった。
活動30周年を迎えた国民的バンドの活動休止が公式発表された同日朝から、民放各局で大々的に取り上げられた。これは、日本のミュージシャンのニュースとしては極めて異例。大々的な報道や特集が組まれ、大きな反響を呼んでいる。
97年ころ、売り上げが一時低迷しライトファンが離れていった時期がある。最大のヒット曲「TUNAMI」は、その状態からの起死回生のバカ売れを記録。桑田は語る。「(意識して)売れるものを作った」。
2003年はデビュー25周年。直前まで一時休養していた活動を再開、大規模なスタジアムツアーで復活をアピールした。が、一部のファンからは「復活以降のシングルは売れ線ばかり」という声も上がっていたらしい。
プロのクリエーターのすべてが持つ苦しみ。「売れなくてはならない」「自分自身のメッセージを伝えたい」この間の葛藤だ。桑田クラスになると、その相克もメガトン級なのではないか。これに疲れ果てたのではないか。
広告批評という雑誌がある。今年創刊30周年を向かえ、それと同時に休刊となった。
創刊者の天野祐吉氏曰く、
「マスメディアの広告が“万能”の時代は終わった」
「大量生産、大量消費、大量流通。この“20世紀の巨大な歯車”が失速した。」
「21世紀は、“物を買わないことが豊かな時代”である。」
大量流通とマスメディアは強いつながりを持つ。そして、マスメディアとポップミュージックの連携も必要不可欠。マスメディアを鋭く批評した「広告批評」誌と不世出のポップバンドの活動が、ほぼ同じ期間にシンクロしていたことが面白い。
サブプライム以降、アメリカが求心力を激減させ、ものすごいスピードで人類はスローな時代に移ろうとしている。大企業が経済成長を維持するために打った悪行が次々に露見。中国が、遅れてきた経済主義をゴリ押ししようとしているところに四川の大地震。
・・・地球が、何かを告げようとしているような気がする。
さしずめ、地球が今、我々に音楽をリクエストするとしたら、「スローなブギにしてくれ」あたりだろうか。(←古すぎて知らない人ゴメン)
1989年を思い出す。
昭和天皇、手塚治虫、石原裕次郎、美空ひばりが同時期に世を去った。昭和の終焉と同時にと戦後文化の巨星が消えた。時代を象徴する存在は、不思議なほどに同じ時期に姿を消す。今年2008年、阿久悠が死に、サザンが解散した。広告批評が休刊となる。アザラシのタマちゃんもどこかへ行った。(←これは関係なし)残る半年、このシンクロはまだまだ続くような気がしてならない。
桑田は以前の著作で、「唄がダメになったら、夫婦でコメディアンになりたい」と書いていた。
事実、デビュー前後のころ、彼の卓越したお笑いセンスに目をつけた志村けんは、桑田を本気でドリフターズに誘ったことがあったらしい。最近の例では、コンサートで小島よしおネタを連呼して話題になり、小島のブレイクのキッカケも作った。
今後の桑田は、ひょっとしてお笑いの世界に進出するかもしれない。
小島と組んで、「オッパッピーの★Gスポット」なんて曲を作って、セッションしてほしいな。
ともあれ、30年間ご苦労様でした。

■「腐る発言」の後腐れ
1月末に飛び出した倖田來未の「羊水が腐る」発言。倖田は、7日のニュース番組に出演、自らの発言を涙ながらにわびた。
倖田來未の“羊水発言”。オールナイト・ニッポンでは、他の芸人さんがもっと過激なことをいっているのに、なぜこまで発展したのか。
音声を聞いたが、オープニング・トークでの発言のようだ。彼女としては、歌手というよりも、芸人さんのぶっちゃけトークのノリで軽く話したに過ぎない気がする。おそらく、爆笑問題の大田が同じことをいっても、まったく問題にならなかっただろう。森三中が同様のことをいっても、ここまでは発展しなかっただろう。この発言をしたのが、倖田來未ってことがキモなのだ。
ということは、放送コードや発言禁止などのような、倫理や規定の問題もさることながら、
感情の問題も大きいはずだ。言ってはならないキャラが、言ってはならないジャンルの、マグマがたまっているツボをつついてしまった、という気がする。
アタリマエの話だが、人間には、結局“自分”にしかなれない。“他者”とはすべて、「自分を変形させた相手」を見立てて接しているだけ。恋愛なんかも同じこと。相手の中に自分の変形を見立て、それを強烈に求めるところから派生する。
元来人間には誰でも、「自分が熱望するのに獲得できないモノ」を持つ。当然、それら(容貌、性質、才能、その他)を所持する相手には、強い興味を持つ。その相手も、こちらに興味や好意を示してくれた場合、幸福な気持が光り輝く。拒否されたりすると失望感が暴発する。
一方、自分が熱望するモノを持たない同士では、どんなに頑張っても、輝きも暴発も発生しない。それがいわゆる、“お友達”っていうヤツだ。
マスコミは、いわばイメージの増幅装置として、人々の喜怒哀楽を煽るのが商売。アイドルやスターは扇動師の役割。上記の理由から、熱狂と非難の二重構造の板ばさみになりやすい宿命を持つ。
ビートルズのキリスト発言が類似している・・・。
1966年、メンバーのジョンが、懇意な雑誌記者に何気なく、
「キリスト教はいずれ衰退する運命。今やビートルズはキリスト教より人気がある」との発言。
これが元で、レコード不買運動、コンサートのキャンセルといった大騒動になった。
・・・光が強くなればなるほど、闇も強まるのだ。
「スターはつらいよ」ともいえる。
羊水発言を真に受けて大騒ぎしている人たちと、納豆ダイエットで、スーパーに納豆を買い占めた人たちは、案外、近い系譜なのかもしれない。
さしずめ、倖田が“エロかっこいい”だとしたら、納豆は“クサおいしい”ということになるのか。
あれ、ちょっと違うかな。
そういえば。井上陽水の曲に 「御免」というのがあったな。
陽水⇒「御免」 ならぬ、羊水⇒「ゴメン」。
テレビ局も、謝罪会見のバックにこの曲をかけるくらいの洒落っ気があると、日本の放送業界も、
粋なのかも知れないが・・・。

■突発性内耳障害を煩ったあゆ■
今年10周年を迎える歌手、浜崎あゆみ。以前から抱えていた左耳の突発性内耳障害が悪化し、左耳が完全に機能不全であることが分かった。
難聴は、ロック系ミュージシャンの職業病といえる。
オペラやクラシックの音楽家には、難聴の人はさほどいないというから、やはりサウンドの環境が問題なのだろう。左耳をわずらったのも、音量が大きいベ-シストを左に置いて歌っているからなのか。。
加えて、ストレスも起因しているのではなかいか。
普通の人でも相当のストレスがかかる昨今。スーパースターのストレスといったら、ケタ違いだろう。さらに、恋人・長瀬智也と別れた直後。
「人間関係において最も大きいストレス”とは、長年連れ添った夫婦の死別だ“らしい。
長年付き合っていた恋人と別れ彼女にも、大きなストレスがかかっていたことに間違いない。
閑話休題。
数学者には視覚障害者はいても、聴覚障害者はいないという。
目が見えなくても数学者にはなれるが、耳が悪いとダメだのだという。
聴覚の落ちた人は、“因果関係の理解”が遅くなるからだ。
耳も、音という情報が時間軸にしたがって流れ、視覚は、同時並列的。
理屈というのは、直列に次々繋がる。だから、理解するには聴覚的要素が必須ということになる。
(そういえば、“音楽理論”に対して“美術理論”という言葉ほどは使用されない)
老人になると頑固になる、というのも、聴覚が落ち、物事の筋道の理解力が低下するという形で繋がっているのかもしれない。
また、三半規管の障害は、平衡感覚や遠近感を損なうというのは良く知られている。
実際、浜崎あゆみの最近のステージでは、ステージ中央に登場するとき、付き添いがいたという話を聴いた。
となると、浜崎あゆみの左耳の障害は、ただ単に耳が聴こえにくいというだけの問題ではなくなってきそうだ。平衡感覚、理論的理解力などにも、影響があるとすると、創作や人間関係にも影響してくる。耳を患ったベートーベンは、非常に頑固で、人間関係の適応に苦しみ、近しい人からは相当な変人と見られていたわけだし。
しかし。世の中とは不思議なもので、何かを失えば、必ず何かを得る。
変わり者の作曲家は、聴覚を失った世界で、イメージのみで、人類史上最大ともいえる傑作を作った。
浜崎あゆみも、聴覚障害が違った形で作用し、さらなる素晴らしい傑作を生み出す可能性だってあるわけだ。
今や「あゆが風邪をひいただけでも、エイベックスの株が下がる」という、ジョークもあるくらいの存在。ベートーベンの「喜びの唄」の詞のように、「苦悩を付きぬけ歓喜を勝ち得」て欲しいものだ。
・・・個人的には。
「このメガスターの良さをなんとか理解したい」と、数年前から何枚かのCDにトライしている。しかし、その良さがサッパリ理解できず、アルバム中3曲も聴けずに挫折。その繰り返し。
ひょっとして、自分も聴覚が悪いのか。それとも、ただ相性が悪いのか。
おそらく。
大量の女性ホルモンでも注射しない限り、一生理解不可能なのだろうな。

■「ズバリ言うわよ!」来年3月で終了
細木数子が出演するTBS系バラエティ番組「ズバリ言うわよ!」が来年3月で終了することとなった。
「今後はテレビ出演は減らして行きたい」本業に集中したい細木自身が降板の意向を示した。
視聴率の女王が抜けるとなるとTV業界の衝撃も大きいようだ。
・・・未来予測や祈祷の世界で、名をはせた人という類型では、「怪僧ラスプーチン」を思い出す。
グレゴリー・ラスプーチンは、1800年代にロシアの農民の子として生まれた祈祷僧。野良仕事中に突然マリアの啓示をうけ祈祷を始めた。人々の病をなおして評判を得、その神秘性と怪異な容貌から「怪僧」と呼ばれ、カリスマ的存在へ。ロシアの皇太子の難病を治療し、皇族の絶大なる信頼を獲得した。
影響力が増し、次第に皇帝の政治にも口を挟むようになる。と同時に周囲のの反感を買うようになる。
過去のスキャンダルが暴かれ、反発する親族たちの謀略の末、惨殺された。毒を盛られ、暴行され、銃で撃たれ、最後は川に投げ込まれたという。
・・・いやはや、なんともいえない凄まじい人生だ。
“神秘的能力”という、非常に曖昧なものを看板に掲げて生きるのはハイリスク・ハイリターンな道である。それだけ信念の強さが必要となる。
成功したら成功したで、地道な仕事で生きている者からの反発も食いやすい。
おそらく、普通の人が普通に生きるケースの数倍ものエネルギーを使うに違いない。
ゴールデンタイムにテレビを見る男性が極度に減ったことから、各局はメインのターゲットを女性に絞っている。すると当然女性週刊誌的な内容となる。芸能人のゴシップをこの時間帯では流せないから、人生相談と証したスキャンだリズムを放映しているのだろう。
細木数子は、その世界の卓越したスターだというわけだ。
それにしても。
細木と亀田一家のキャラが酷似しているのが面白い。この手のセンセーショナリズムを演じることができる人物が、テレビの中では光る素材なのか。
それとも、ネットや携帯電話などの双方向である21世紀型メディアが台頭していることへの、放送局の焦りなのか。“送りっ放し”の20世紀メディアの苦戦の様子が伝わってくるようだ。
実はこのラスプーチン。
「政治には強い関心のない取り巻きの一人に過ぎなかったらしい」との説もある。
しかし、皇后の寵愛があまりにも強かったため、周囲の親族たちの反感を買い、スケープゴードにされただけという見かたもある。
亀田興毅の傲慢さは実はパフォーマンスで、本人の実像は、なかなかのシッカリ者だった。
細木数子のキャラも、数字を稼ぐために一生懸命作っていた可能性もある。
いずれにしても、自分を含めた一般大衆はイラだってるようだ。常にスケープゴードを必要としてるほど、潜在的な怒りがたまり、それをせめてテレビに怒りをぶつけないと気がすまないのだろう。
「6星星術」でデビューを飾り、最後の番組「ズバリ言うわよ!」がTBS系(首都圏では6チャンネル)。ロクで始まり、ロクで締める。そして御歳現在69歳。
何か関係あるのでしょうか。

■神田うの、6億円の挙式■
ちょっと古いネタで恐縮です。
先週アップする予定のうのちゃんネタだったのですが、
亀田ネタを優先してしまいました。亀田騒動強し。
世の中には男と女がいる。
サディストとマゾヒストがいる。
ピッチャーとキャッチャーがいる。
それと同様に、金を稼ぐのが上手い人と、金を使うのが上手い人がいる。
金を使う人が必ずしも金を使うことが上手いとは限らない。
現に「金を稼ぐのは簡単だが、金をいかに上手に使うかのほうが難しい」と説く金持ちも存在する。
つまるところ、人間にはもって生まれた役割分担がある。それを使命と呼んだり、才能といったりするわけだ。
精神性と芸術性に特化した天才的なアーチストは、経済観念がまるでダメな人が多い。
無一文から一代でのし上がる天才的な実業家は、教養方面が弱い人が多くいる。
この両者が出会うと、強く憧れると同時に劣等感を覚える。ひきつけあうと同時に反発もする間柄となる。
豊臣秀吉と千利休の関係などはその典型だろう。
西村拓郎氏は、不動産とパチンコ業を営む実業家。
神田うのは、官僚の娘でバレエやファッションを得意とするファッションモデル出身の芸能人。
地べたにシッカリと足をつけ、せっせと金を稼ぐタイプと、砂上に夢のお城を立て、そこで優雅に振舞うタイプ。
経済の才能、芸術の才能のいずれももっていないのに、財産だけ受け継いだ場合もある。
大作曲家・リヒャルト・ワグナーに財政を好きなようにむしりとられた、国王ルードリッヒ2世のようなものだ。
財政面も才能面も、この二人のスケールになると、例え国が傾いても後に国宝級の芸術品を残すことになる。
神田うのの才能がどの程度のものかは知らない。知名度を利用した有名人の身過ぎに終わらず、旦那の財力を活かした、本当の創作を作り上げることを祈る限りだが。
ちなみに・・。
夫の西村拓郎氏はきっとボーリングが得意なのでは、と読んでいる。
ボーリングならば、不動産やパチンコ業と同様に「転がし慣れてます」。
なんてね。



