
■楽天・好調開幕スタート
楽天が好調だ。開幕4連敗の後、7連勝した快進撃、一時は初の単独首位にも立った。首位争いをしてもおかしくないチームに変貌した。就任3年目。田尾監督時代からみると、短期での急発展を遂げた野村監督の力量はスゴイ。チーム状況も、“万年最下位”という名の濃霧が散り、好天が見えてきた。
稀代の名伯楽のモットーは適材適所であるという。個々の人材の長所を見抜き、各人が最も輝く場所を提供する。
人は誰でも長所を持つ。
しかし、長所短所というのは、個人個人の主観で変わる。いや、人とういうのはただ存在しているだけ。周囲が勝手に自分たちの状況や都合で価値を変えているに過ぎない。
赤い花がどんなに美しくても、周囲にウンザリするほど赤い花が咲いていれば目立たない。
花ぶりが大したものでなくとも、薄汚れた部屋にあれば異彩を放つ。
世の中のものはすべて相対である。絶対的な真もなければ、善も美もありえない。整理整頓、組み合わせ、強弱のバランスで如何様にもなる。指揮官の醍醐味はそこにある。
「醜いアヒルの子」という童話がある。
これは単に、「変わり者だった子供が成長するにつて美貌を獲得し人生が変わった」というだけの話ではないと思う。「まったく同じ人間でも、今までと違った場所、違った仕事、違った人間関係に移った途端に輝きだす場合がある」ということの暗示を含んでいるのではないか。
バレエの熊川哲也は、幼少の頃から親にバレエを英才教育で叩き込まれたわけではないらしい。いくつかスポーツを渡り歩き、バレエで初めて「これだ」と閃いたという。
漫才の「やすしきよし」の横山やすし。それまで何人もコンビを組んでいたが、すべて彼の凶暴ぶりで解散。やすきよでブレイクするまでは、長続きしない単なる問題児だった。
これらはまさしく化学反応だ。醜いアヒルの子が、「誰でもある日突然、劇的に変化する」可能性があることを示した好例。野村克也は、人為的に選手を開花させる場所を与えることの達人なのだ。
しかし。
安楽な状態のなかでは、問題意識も萎み、化学反応のチャンスにも気づかない場合が多い。
保護状態では、アンテナがどんどんさび付いてくるからだ。豊富な資金があるわけでもなく、超目玉選手が最初から存在しない球団だからこそ、野村の腕の見せどころがある。
その一方、恵まれているが故にアンテナがを錆付かせている球団もある。
歴史や伝統、プライドがまるで皮下脂肪のようにベットリと張り付き、むしろ“智慧を発揮する余地”を与えてもらえない球団だ。欲しいと思う前に玩具を買い与えられる金持ちの子供みたいで、それはそれで可愛そうでもある。
「こういう野球しとれば将来性ある」
前向きな発言が増えたノムさんの采配に、多く視線が注がれ楽しみだ。
え?どこからの視線かって?
楽天だけに、“ネット”越しでしょうか。

■日本ハム:中田翔、開幕2軍決定
金のなる木を持ち上げた後は突き落とす、そうすりゃ二度オイシイというわけか・・・。
世の中には、早咲きの人と遅咲きの人がいる。
そして長続きする人と続かない人がいる。
早咲きの人は、社会的貢献と地位名声に加えて若さを持つので華やかな人生に見える。
遅咲きの人は、世間を良く知った上での社会的貢献なので、シッカリした人生観を作れる。。
長持ちする人は、そのたゆまぬ研鑽で実績を積み上げ、続かなかった人は、一瞬であるゆえの輝きがむしろ詩的イメージを残したりもする。
早熟長持ちタイプが実績面では最も優れているのは当然だ。彼らは着実に記録を積みあげ、名選手の誉れを確実にし殿堂入りしたりする。若いときから半世紀の間、権力を握り続けたフィデロ・カストロのようにさまざまな実績を後世に残す。
早咲き早世にも味がある。一瞬であるがゆえに鮮やかに闇を切り裂く流れ星のような鮮明な記憶を人々に残すのだ。彼らがもし、天才的な技能に加えて端正な容貌を持てば詩的効果は倍増、新撰組の沖田総司的存在となるだろう。
高卒ルーキーでいきなり16勝をあげた巨人の堀内恒夫。牙を向く列強団をなぎ倒しエースとして君臨、200勝を達成した。引退時の言葉が「才能だけで野球をやった」。“早咲き長持ちの絢爛たる花”といえる。
社会人からプロに入団後いきなり16勝をあげた日ハムの木田勇。主たる賞を総なめにし、シーズンオフには「青春アイ・トライ・マイ・ベスト」という歌まで吹き込む大型ルーキーだった。しかしその後は伸びず、結局それが「ベスト・オブ・ヒズ・ライフ」。まさしく“早咲き早世の花”だ。
プロ入団7年目にしてうようやくレギュラークラスになるも、中日、オリックスと渡り歩き、楽天を新天地として、40歳にして二冠王に輝いた山崎武司は、遅咲き長命タイプだろう。
151キロの驚異的な伸びのある速球デビューし、高橋由伸に「今までで一番すごいストレート」と言わしめたした中日の中里篤史。しかしその後、度重なるアクシデントで勇姿を見るのは稀に・・・。線香花火のような“一瞬のあだ花”となるのか・・・。
「記録より記憶」という言葉もある。だけど記憶だけでは飯は食えない。詩ばかり歌っていたのでは生きてはいけない。醜く、おどろおどろしく、ネトネトした嫉妬と憎悪と計算高さも、世間で生きるにはついてまわる。だけど時には、―いやだからそれゆえ、人はポエムを必要とする。
大部分が茶色と緑色の樹木のなかに、ごく稀に鮮やかな赤や黄色の花が咲くから胸ときめかすのだ。早咲き遅咲き、長命短命、さまざまな花に惹かれるのだ。
中田翔。これから一体、どんな花となるのだろうか。
前評判とは裏腹に、現時点では活躍どろこか、一軍入りも厳しい状態。
「ホームラン10本行きたいッす」
強気もさすばに陰潜め、今頃彼こう呟いているに違いない。
「そんな言葉はもう、ナカッタことにシヨウ・・・っす」。

■野茂、右ひじ手術からの完全復活なるか
招待選手からメジャー復帰を目指すロイヤルズの野茂英雄投手は29日、パドレスとのオープン戦で3年ぶりのメジャー登板.最速87マイル(約140キロ)ながら2回を3安打1四球自責点0に抑えた。2三振を奪う上場の出来だった。
ときどき座禅の本を読む。
そこには、「我々の日常における思考のほとんどは“妄想”である」とされている。
「座禅はそれを減らす効果があり、妄想が取り払われた先には安定した心の状態になる」とある。
ある物事に集中しているつもりでも、実は作業より妄想が勝り、エネルギーをそっちに奪われてしまうようなことは日常よくある。
実際、目の前の作業をしているつもりでも、その結果や周囲の目ばかり気になり、目の前の作業に集中できないこともよくある。あまり上手くいっていない恋人の存在が気になり、一日机に向かって仕事をしても、全然捗っていないなんてことも一例だ。
それらはすべて、取り組み中のこととは違った場所にある“妄想”気を奪われている状態に陥っていることになる。
・・・というよりむしろ、「我々の人生のほとんどが、妄想に振り回されっぱなし」といえるかもしれない。ぼんやりと仕事をしつつ半分は妄想にまみれ、勝手に喜び勝手に心配し、突然無関係な昔の失敗を思い出し恥かしがったりしながら、一人で疲れている。本質なことにエネルギーを使っているのか、妄想でくたびれ果てているのか、区別が付かないといってもいいくらい。少なくとも、自分などはそういう中途半端な人生を送っているようだ。
野茂英雄の生き様に、秀でた点が二つある。
一つは開拓精神。もう一つは、集中力である。
彼は“野球”(ベースボールではない)のヴァンガード(先駆者)であり、伝承者でもある。
これほどの成功者ならば、第二の人生の生活不安などかけらもないはず。
それでも途方もない努力とリスクを背負って野球を続けている。ただ“野球を追及したい”、その一心に全身全霊を傾けている。逆に、すぐれたスポーツ選手のなかには、まだまだ活躍できるのに、別の可能性に新たに踏み込んでいく、中田英寿のようなタイプもいる。
どちらがいいとは言い切れない。
しかし、彼は現在までし続けている仕事と、自己実現がピタリと一致し、長年そこからのブレがない。
生活のために仕事をし、「労働なし生きているなら、とっととやめたい」と思っている人が、世の中の多数だろう。野茂のオーラには眩い栄光と同時に襟を正す厳粛性を帯びて見える。
人生における体感時間は、逆ねずみ算式に減ってゆく。気力体力満々の前途洋々の若者が、気が付くと、虻蜂取らずの中年になってしまう可能性もある。
21世紀になり、情報技術に革命が起こり、すべての流行のサイクルが加速。
誠意を込めて、基本を築き、一つのことを徹底するという生きかたが、一層難しくなっている。
だがしかし、何の業界でも、どんな分野でも、いかなる技術者においても、それを貫いている尊敬すべき人たちがいることを忘れてはならない。
野茂のプレイには、単なるベテランプレーヤーというばかりではなく、そういったメッセージが含まれているような気がする。貫いた者にしか出せないオーラを放っているというか。
--こういった考えも文章も、所詮妄想の産物だろう。
ともあれ、いよいよ、野球のシーズン。
モウソウだけに、モウソンな季節かと呟いてみるわけで。
うーん・・・
野茂のフォークとご同様、こちらのブログも“落ち”の出来映えが気がかりなんです。


■中日ドラゴンズ、53年ぶりの優勝するが・・■
中日ドランゴンズが、日本ハムファイターズを破って53年ぶりの優勝を決めた。MVPは中村紀洋。。山井は最終戦にパーフェクト未遂(?)の好投を見せた。しかし、ダルビッシュは、やはりスゴイ。
一戦目。調子がよくなく逆ダマ連発。逆ダマというのは、指先に力点が集中しないために狙いが大きく外れる現象。球威も落ちるのが常。彼はそれでも13奪三振というシリーズ記録を作る。結果的には1失点の好投。
二戦目。一線目ほどの力感はないにしても、11〜12奪三振。で1失点。
2試合17イニングを投げて、2失点。25近くの奪三振を奪っている。
たまたま中日が優勝したから中村紀洋がMVPだったが、活躍の大きさは間違いなく中村の上をいっている。
中日の打撃コーチが「ダルビッシュだって人間だ。チーム一丸となれば必ず打てる」と発言。中日の谷繁をもってさえ「球威、変化球各種、守備、試合度胸どれをとっても、すべて一級品」といわしめている。セリーグの代表投手・・・いや、これまでの球界を代表するエース・川上憲伸と第一戦の投げ合いをみても、「クラスの番長」「学校の総番長」くらいの差を感じた。
オマケにあのルックス。ジャニーズのタレントにも勝る美貌を持ち、ファッションモデルとしても世界に通用する体格。ダルビッシュは、ベッカムなんかよりも全然カッコイイ。もしかして今、「世界でももっともカッコいいアスリート」の一人なのではないだろうか。
なぜ球界に、突如として彼のようなすべてが揃ったスターが生まれたのか。
スーパースターというのは、順境からは登場しない。エリートからはスーパースターは生まれない。
巨人が豊富な資金とメディア力を駆使し、過去に長島や王というスーパースターを作った。
同じ手法で、原辰徳や高橋慶伸に「若大将」「ウルフ」とニックネームをつけてスターにしようととた。
しかし、イマイチ力不足。“無理矢理作った底上げ的スター”という印象がぬぐえなかった。
スターが登場するときには、必ずその背景に闇が必要。危機があるところにしか、スターは登場しない。既得権益は、真性才能の目を摘む傾向がある。新しいスターというのは、先達からみたら理解不可能な部分を持つ。ジャズの巨匠がロックを理解せず、ロックの巨匠がヒップホップを受け入れられないのと同じだ。巨人からスターが生まれない理由もそこにある。
危機というのは、カードゲームでいうところのシャッフルの効用を持つ。つまり既存の勢力を崩し、真っ平な状態となる。そこにようやく、本物のスターが登場する余地ができる。加えて、ダル自身の生い立ちも、父親がイラン人であることから、相当な紆余曲折があったようだし。
巨人戦のTV全国放映の大幅縮小したときと重なって、ダルが登場したのもうなづける。
一流そこそこの才能の持ち主を、超一流と持ち上げてメディアで喧伝していた放送局の中継が激減したところに、真性のスーパースターが登場する余地ができたのだ。
このシンクロシティーを裏付ける説に、なんら論理的な根拠はない。
しかし、ある種の“力学”のようなものが働いているような気がしている。
技の洗練が造る美、会心の球の軌跡が造る美。選手の表情が造る美。それに圧倒的強さを持つもののみ、真のスターとなりえる。ときにそれは、機能的なチームワークの勝利を上回る感動をあたえることもある。同等の力を備えた、異個性のスターが現れ、まばゆい美花を撒き散らす、そんな日を楽しみにしている。
さらにもう一句。
「ダルビッシュ 野手も張り切り 守備ダッシュ」

■佐賀北高校優勝と桑田の戦力外通告■
(8月の末にいくつかの仕事の締め切りが重なり、9月2日に池袋で我がロックバンドのライブイベントを行いました。少々バタバタしており、時事ネタとしては、少々古くなってしまったことをお許しくださいませ)
第89回高校野球大会は、佐賀北が優勝した。
この大会の開催時を前後して、ちょうど高校野球と縁の深い人のさびしい出来事も重なった。
ひとつは、野球好きでも有名で甲子園をテーマにした詩も書いた阿久悠氏の死去。もうひとつは、元広島商高のエースで達川光男氏とバッテリーを組んで甲子園でスターとなった佃正樹投手の死去。そして桑田真澄投手のパイレーツ戦力外通告である。
この大会の最大の見所はなんといっても、佐賀北と広稜の決勝戦だろう。
佐賀北が5点差をひっくり返した8回は圧巻だった。
世間の話題は、佐賀北の1点目となる、押し出しのファーボールに話題が集中。
その微妙な判定が今でも疑問に残っている。
映像を冷静に見ると、あれはストライクだろう。
佐賀北は、県立高校である。当然セレクションなんてできない。
限られた資源人材とでやりくりしてきた学校である。
一方、広稜は高校野球のエリートだ。資源財源もそろい、人材セレクション、越境入学はあたりまえ。野球を特化させることに資本投下してきた高校でだからだ。
本来なら、試合前から3点くらいのハンデを与えてもいいくらいの力の差があるのかもしれない。
しかし、佐賀北には勢いがあった。決勝進出まで、奇跡的な延長戦、逆転劇を繰り返してきた。
加えて両者のハンデ自体が、観衆に“判官びいき”的な共感を呼び寄せ、観客やテレビの視聴者の大半は佐賀北を応援するようなムードとなった。トーナメント戦独特の“魔物”があの8回の逆転劇を呼んだのだろう。
以前、ある映画を観たことがある。
熱愛する若い二人が結婚をした。貧しいなか苦労を重ねて愛だけを頼り始めた結婚生活。
二人の門出の記念としして「“お気に入りの食器”を大切に箱の入れ、タイムカプセルとして20年後に再びあけよう」と約束をした。
約20年後、二人は平凡な父と母になり、そんなことはスッカリ忘れていた。
引越しの際に、妻が押入れの奥からその箱を引っ張り出す。
思い出の食器は、美しくもなんともない、時代遅れの薄汚れたただの食器だった、というお話。
美しき錯覚。
恋愛における思いが、ごく平凡な食器ですら、類稀なる美しいモノにしてしまったのだ。
で。
決勝戦のあの疑惑の判定に対して・・
佐賀北の活躍は当然のこと、
広稜の野村投手の投球スタミナ、精神力、も素晴らしかった。
試合後、広稜の監督が、「自分の監督生命をかけても抗議を」というものエライ。
あの審判は、どうなのか。
あれは誤審ではなく“錯覚”なのだと思う。
スタンドの膨大なる観客の圧倒的多数が佐賀北を応援し、(多分テレビ視聴者もそう)
その意識が、無意識的に主審にも乗り移ったのではないか。
誤審でも、疑惑でもなく、ただ審判の錯覚だったのではないか。
いくら審判とはいども、数万人の思いが集まれば、錯覚を起こすことくらいある。
サッカーの世界大会などでは、よくあることだし。
野球特化戦略において資本投下してきた私立高校と公立高校には
歴然とした「佐賀」ある。そういう公立学校に「乞う支援」、ってなワケだ。
桑田は、そうこうしているうちに、
来シーズンも再び選手を目指すほうに気持ちが傾いているみたいだ。
個人的には、そろそろ潮時だと思うがどうだろう。
「ナイスガイだが戦力外」と言われているうちが花。
これ以上はの思い入れは錯覚を呼び、
戦力外どころか“問題外”扱いされてしまう可能性もある。
ご注意を・・。

■イチローMLBオールスターでMVP■
変化は一瞬でやってくる。
21世紀になった途端、世界はIT時代に突入し、社会の仕組みが根本から変わってしまった。
まるで9.11がその開幕ベルだったかのように。
今年のメジャーオールスターのランニングホームラン(MVP獲得)の瞬間に、野球全体の何かが変わったような気がする。イチローのあのダイアモンド一周が、その開幕ベルだったのかもしれない。
ただそんな気がするだけだ。その“何か”の正体すらわからない。
リアルタイムでは解らないだろう。9.11と同様、数年たってしまわないと物事の全貌というのは見えてこない。それが歴史ってものだから。
すで数年前“日本のイチロー”から、“世界のイチロー”になっている。
あの、ダイアモンドを一周後、“世界の頂点”すらもはるかに越えた存在になろうとしている。
イチローはこれらから、どこにいくのか。
・ ・というより、どこへいってしまうのか。
イチローは走る。ひたすら走る。
彼がつけた足跡が意味するものを、5年10年過ぎた後、遥か遠方からの俯瞰ができて、ようやくその意味がわかるのだ。そして我々は話し合う、「あのときはこうだった」「いやそうじゃない」などと・・。
それが凡庸な人々に与えられた、ささやかなる楽しみであり、最大の才能なのだ。
イチロー。
“世界”の次元を超えて、宇宙へといくしか残っていないのか。
「50歳になっても、3割を打つ」といった時間軸への挑戦しか残っていないのか。
彼はきっと、物凄い孤独のなかにいるに違いない。
イチローは走る。ひたすら走る。
※今回はちょっと“シリアス路線”で、ワケの解らんことを書いちゃいました。

■日ハム、交流線優勝オメデトウ■
日本ハムは23日、阪神を延長11回、6―4で下し、交流戦初優勝を決めた。
同点の延長11回、小谷野が鼻血まみれの決勝2ラン。導入3年目の交流戦はV2のロッテに次いでパが3連覇。試合後、トレイ・ヒルマン監督(44)はトロフィーと5000万円の賞金ボードを手渡された。 新庄、小笠原が抜けた昨季王者。開幕時点では、得点力不足に苦しみ最下位へ。どん底の4月下旬のミーティングを開いた。金子誠選手会長は「2人の穴を埋めようと思わず、やることをやろう」と訴えたという。
今年の日ハムの今年のこれまでの活躍を誰が想像しただろう。
「屋台骨 抜けて日本 ボンレスハム」になるに違いないと、誰もが予想したのではないだろうか。
ここまでは、セギノール、ダルビッシュとスーパースターが投打で大車輪の活躍。ヒルマン監督の日本野球仕込みの送りバントの多様と、華やかさと堅実さを兼ね備えた勝ち振りは鮮やかの一言。
そして。芸術的な低めのバッティングに勝負強さを備えた、稲葉の活躍も忘れてはならない。しかし、スタンドのあの「稲葉ジャンプ」だけは、どうにもいただけない。
“稲葉の白兎”から連想したのだと思うが、もう少し「品」のある応援をしてほしい。
カメラが揺れたり、建築物にダメージを与えるなどの、周囲への迷惑もあるのではないか。
代案がある。稲葉選手への新応援方法で強く勧めるのは、「イナバウアー・ウエーブ」だ。
観衆が順番に右から左へイナバウアーをしていくのだ。「ウエーブ」の上下の動きにたいして、「イナバウアー」の奥行きの動きでアピールするのだ。スタンドの大観衆が次々にのけ反っていくのは、従来の常識を打ち破った、画期的なまったく新しい応援スタイルとなるに違いない。
“地味すぎて何をやっているのかわからない”という点以外に、この応援方法の欠点は見つからない。強くお勧めする。テレビカメラや建造物も喜ぶに違いない。



